2021年に亡くなった ミュージシャンを偲んで

(本サイトには、プロモーションが含まれています)

2021年に亡くなった ミュージシャンを偲んで|思い出のアルバム紹介

私は、1960年代、1970年代の音楽が好きで、この時代に活躍したアーティストのアルバムを多く聴いてきましたが、みなさん高齢になってきて、他界されるアーティストが増えてきました。

2021年にも、この時代に活躍されたアーティストが多くお亡くなりになりました。

昔から聴いていたアーティストの方々がお亡くなりになってしまうのは、とても寂しいかぎりです。

今回、2021年にお亡くなりになったアーティストの中でも、特に、私が、ショックの大きかった方々を取り上げ、追悼の意味も含めて、思い出のアルバムを紹介していきたいと思います。

海外のアーティスト

チャーリー・ワッツ

チャーリー・ワッツは、ローリング・ストーンズのドラマーで、ローリング・ストーンズのオリジナルメンバーでした。

チャーリー・ワッツは、Jazzに影響を受けており、ローリング・ストーンズ以外にも、Jazz系のバンドを結成し、アルバムも発表しています。

ローリング・ストーンズのメンバは、熱い人たちが多い中で、チャーリー・ワッツは、坦々と演奏を行い、クールな紳士的なイメージがありました。

チャーリー・ワッツがお亡くなりになってしまったことで、ローリング・ストーンズはこのまま解散してしまうのかもしれませんが、メンバみなさん高齢になってきていますので、健康に気をつけて、長生きしていかれることを願っています。

ローリング・ストーンズのアルバムでは、あまり取り上げられることのないファーストアルバム「The Rolling Stones」を紹介します。

1964年に発売されたローリング・ストーンズの記念すべきファーストアルバムです。当時は、オリジナル曲に力を入れておらず、「Tell Me」の1曲しか、オリジナル曲は入っていません。それ以外の曲は、黒っぽいブルース系の曲をカヴァーしています。ローリング・ストーンズ全員が写っているジャケットは、みなさん若いですね。ローリング・ストーンズのファーストからサードアルバムは、ブルース系のカヴァー曲中心のアルバムですので、もし、ローリング・ストーンズのオリジナル曲中心のアルバムしか聞いたことがない人は、この時代のブルース系のアルバムも良作ですので、聞いてみてはいかがでしょうか。

チック・コリア

チック・コリアは、Jazz界において最も有名なピアニストで、革新的なJazzミュージシャンでした。

マイルス・ディビスの革新的なアルバム「イン・ア・サイレント・ウェイ」や「ビッチェズ・ブリュー」にも参加し、エレクトリック・ピアノを演奏しています。

ソロアルバムも多いですが、「リターン・トゥ・フォーエヴァー」や「チック・コリア・エレクトリック・バンド」などのバンド活動も行っており、多彩な活動で知られていました。

2021年2月、癌でお亡くなりになりました。79歳でした。

チック・コリアのアルバムは多彩ですので、1枚だけ選ぶのは難しいですが、チック・コリアのアルバムの中で、最も紹介されることが多い、「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を紹介します。

1972年に発売されたチック・コリアのFusionアルバムです。後に、このアルバム名「リターン・トゥ・フォーエヴァー」と同名のバンドを結成します。数あるFusionアルバムの中で、初期Fusionアルバムの傑作として知られているアルバムです。カモメが飛んでいる綺麗なジャケットも印象的です。ボーカル曲も収録されており、フローラ・プリムのボーカルは、天使のような歌声で、とても美しいアルバムです。

ジョーイ・ジョーディソン

ジョーイ・ジョーディソンは、元スリップノットのドラマーで、スリップノットのオリジナルメンバーでしたが、2013年に、けがにより、スリップノットを脱退しています。

スリップノットでは、白塗りのホラー系のマスクをしており、かなり怖いですが、演奏技術はすごく、高速の強烈なドラミングを行なっていました。

メタリカやコーンなどのメタルバンドのサポート・ドラマーとしても活躍していました。

睡眠中に亡くなったとのことですが、死因は明らかにされていません。

46歳という若さで、とても残念です。

(SlipknotのオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされたジョーイへのトリビュート動画)

スリップノットのアルバムの中で、最も凶暴なアルバム「IOWA」を紹介します。

2001年に発売されたスリップノットのセカンドアルバムで、現在まで発売されているスリップノットのアルバムの中で、最も凶暴なアルバムです。ジョーイ・ジョーディソン氏の高速ドラミングも遺憾なく発揮されています。スリップノットの曲は、デスボイスが中心ですが、サビの部分はメロディアスなボーカルが特徴ですが、このアルバムは、ほぼ、デスボイス中心で、メロディアスなサビはあまりなく、ブルータルな曲で構成されています。

ダスティ・ヒル

ダスティ・ヒルは、ZZトップのベース兼ボーカルを担当していた人で、ZZトップと言えば、髭が特徴的ですが、その髭の2人のうちの1人の方です。(もう1人は、ギター・ボーカルのビリー・ギボンズです)

ダスティ・ヒルは、2021年7月に、自宅で眠っている間に亡くなったとのことで、死因については明らかにされていません。

ZZトップは、1971年のファーストアルバムから、ビリー・ギボンズ、ダスティ・ヒル、フランク・ベアードの不動の3人で活動を続けてきて、米国南部を代表する国民的グループとして知られていました。

ZZトップのアルバムの中で、世界的なヒットした「Eliminator」を紹介します。

1983年に発売されたアルバムで、前作のアルバム「El Loco」からシンセサイザーを使用するようになり、このアルバムでもシンセサイザーやシーケンサーを取り入れています。80年代に、シンセサイザーを多用して失敗するアルバムが多い中、このアルバムはシンセサイザーをうまく利用した成功アルバムかと思います。ギター・リフのかっこいいブルース・ハードロックな曲が多く収録されています。次作のアルバム「Afterburner」もおすすめです。

デニス・トーマス

デニス・トーマスは、クール&ザ・ギャングのオリジナルメンバーで、アルト・サックス、フルート、パーカッションを担当していました。

同様に、クール&ザ・ギャングのオリジナルメンバーで、テナーサックスを担当していたロナルド・ベルが、2020年9月に他界して、間もない1年後に、デニス・トーマスまでもが、お亡くなりになってしまいました。

これで、クール&ザ・ギャングのオリジナルメンバー7人のうち、5人が他界したことになります。

クール&ザ・ギャングのアルバムの中で最も好きな「Something Special」を紹介します。

このアルバムは、1979年にジェームス・”JT”・テイラーが加入してから発売された1979年「LADIES’ NIGHT」、1980年「CELEBRATE!」に次ぐ3枚目のアルバムで、クール&ザ・ギャングが、最も脂が乗っていた時代のアルバムです。このアルバムから「Take My Heart」「Get Down On It」「Steppin’ Out」がヒットしました。サウンドは、70年代後半から、80年代初頭のDisco、ダンスナンバーが中心ですが、「Pass It On」や「No Show」といった優れたバラード曲も収録されています。

ジョン・ロートン

ジョン・ロートンは、ハードロックのボーカリストで、「ルシファーズ・フレンド」や「ユーライア・ヒープ」のボーカルで有名だった方です。

ハードロックやメタルの高音の伸びのある正統派のボーカルで、RainbowのDioや、Led ZeppelinのRobert Plant に少し似た感じのボーカルでした。

2021年6月に、突然お亡くなりになったとのことで、死因は明らかにされていません。74歳でした。

ハードロックの中では、「ユーライア・ヒープ」の方が有名ですが、「ルシファーズ・フレンド」のファーストアルバム「ルシファーズ・フレンド」を紹介します。

1970年に発売された「ルシファーズ・フレンド」のファーストアルバムです。ジョン・ロートンは、イギリス出身ですが、「ルシファーズ・フレンド」は、ドイツのロックバンドでした。ジョン・ロートンのハイトーンのボーカルが堪能できるアルバムで、オルガンが入っていますので、サウンドは、Deep Purpleに近いかと思います。1曲目「Ride The Sky」は、レッド・ツェッペリンの「Immigrant Song」に雰囲気が似ており、ジョン・ロートンのハイトーンボーカルが光っています。マイナーなアルバムですが、隠れたハードロックの名盤です。

アラン・カートライト

アラン・カートライトは、プロコル・ハルムの元メンバで、ベースを担当していました。

プロコル・ハルムといえば、「青い影」が有名ですが、「青い影」はプロコル・ハルムの初期のヒット曲で、まだ、アラン・カートライトは、プロコル・ハルムに、参加していませんでした。

アラン・カートライトは、プロコル・ハルムの1972年〜1976年のメンバで、スタジオ・アルバムでは、「グランド・ホテル」「異国の鳥と果物」「プロコルズ・ナインス」の3枚のアルバムに参加しています。

2021年3月に癌でお亡くなりになりました。

「グランド・ホテル」は、プロコル・ハルムの代表作でもありますので、このアルバムを紹介します。

プロコル・ハルムの6作目のアルバムで、オーケストラと融合したトータル・アルバムです。プロコル・ハルムのアルバムの中では、最高傑作に挙げられることが多いアルバムです。プログレッシブロックらしさが最も表れており、「荘厳」「威厳」という言葉が合うアルバムです。1曲目の「グランド・ホテル」から、オーケストラが活躍しており、威厳を感じさせます。

グレアム・エッジ

グレアム・エッジは、ムーディー・ブルースのオリジナルメンバで、ドラムを担当していました。

別記事で、ムーディー・ブルースの全アルバム ランキンをしていますので、そちらを参照ください。

関連記事

(本サイトには、プロモーションが含まれています)ムーディー・ブルース(The Moody Blues) 全アルバムランキング2021年11月11日、ムーディー・ブルースのドラマー グレアム・エッジ氏が80歳でお亡くなりになりまし[…]

国内のミュージシャン

HSU(小杉隼太)

HSUこと、小杉隼太さんは、Suchmosのオリジナルメンバーで、ベースを担当していました。

2019年に体調不良により入院し、精密検査の結果見つかった腫瘍の摘出手術を行ったとのことですが、2021年 32歳の若さでお亡くなりになりました。

死因や亡くなった日時は明らかにされていません。

Suchmosは、日本では珍しく、Acid Jazz系のバンドで、どことなくジャミロクワイに似ています。

小杉隼太さんもジャミロクワイに影響されていることを公言していますので、ジャミロクワイを意識していることが伺えます。

Suchmosのファーストアルバム「The Bay」を紹介します。

2015年に発売されたアルバムで、収録曲の「GAGA」「Miree」「GIRL (feat.呂布)」「Miree BAY ver.」は、HSUさんが作曲した曲で、ベース音が効いていて、ジャミロクワイのサウンドを彷彿させるかっこいい曲です。HSUさんの作られた曲は、70年代の懐かしいディスコ調サウンドが特徴ですので、ジャミロクワイ好きの人にも、気に入るアルバムかと思います。

神田沙也加

2021年12月クリスマスの近い時期に、「神田沙也加さんが、札幌市内のホテルの高層階から転落し、お亡くなりになった」というニュースが流れ、日本中が衝撃を受けました。

転落の原因は分かりませんが、まだ、35歳という若さで、これからの活躍を期待されていたのにとても残念です。

神田沙也加さんの曲は、「雪とアナの女王」ぐらいしか聞いたことがありませんでしたが、2011年発売のアルバム「LIBERTY」を聴いてみました。

アイドルらしい曲が収録されているアルバムかと思っていましたが、全然異なり、ミュージカルを感じさせるアルバムでした。1曲目「流星」は、「雪とアナの女王」を思い出させる曲で、「Part Of Your World」や「Sometihng more」は、正に、ミュジージカルしている曲です。神田沙也加さんのボーカルは、松田聖子さんの声には似ていないですが、歌唱力が高いことが分かります。

まとめ

2021年にお亡くなりなった アーティストを偲んで、代表的なアルバムを紹介しました。

2021年は、多くの才能のあるアーティストの方が、亡くなってしまい、とても残念に思います。

ご冥福をお祈り致します。

2022年は、才能あるアーティストの方が、他界しないことを祈りたいと思います。

>music 博物館

music 博物館

CTR IMG